大判例

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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和60年(ネ)179号 判決

控訴人

新光タクシー株式会社

右代表者代表取締役

山本文雄

右訴訟代理人弁護士

谷内文雄

被控訴人

藤田了

右訴訟代理人弁護士

八十島幹二

吉川嘉和

吉村悟

主文

1  原判決主文第二項を次のとおり変更する。

(一)  被控訴人は控訴人に対し金三万九二八〇円及びこれに対する昭和五六年一二月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  控訴人のその余の不当利得返還請求を棄却する。

(三)  右(一)項につき仮に執行することができる。

2  訴訟費用は第一・第二審を通じこれを五分し、その三を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。

事実

一  控訴代理人は、「原判決を次のとおり変更する。被控訴人は控訴人に対し、金一七四万一六七二円及びこれに対する昭和五六年一二月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほかは原判決事実摘示記載のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決三枚目表七・八行目及び同裏七行目「塔乗者傷害特約」の次に、「及び自損事故特約」をいずれも加える。

2  本件事故は被控訴人の居眠り運転により発生したものであり、控訴人は、本件事故による被控訴人の被害の回復を図るべき民法上の義務を負つていない。あるのは労働基準法七五条以下の災害補償義務のみであるが、その義務も労災保険によつて履行済みである(同法八四条一項)。

控訴人と被控訴人との関係においては、同和火災海上保険株式会社(以下「同和火災」という。)をして保険金を支払わしめる対価関係がなく、事務管理として保険契約を締結したのであり、被控訴人はその反射的利益として同和火災に対する保険金請求権があるにすぎない。

被控訴人が保険金を受給する利得を得ることによつて、控訴人が翌期の保険料の増加の損失を被ることを正当とする何らの関係もない。不当利得は、他人に損失を与えて自己の利益を図ることは、自然の正義に反することを根本理念とする。形式的・一般的には正当視される財産的価値の移動が、実質的・相対的には正当視されない場合に、公平の理念に従つてその矛盾の調整を試みようとするのが不当利得の本質であるから、被控訴人は控訴人に対し、不当利得金一一二万三〇九〇円の支払義務を免れない。

理由

一本件事故の発生とその態様について

1  請求原因(一)の事実は、本件事故の態様の点を除いては当事者間に争いがない。

2  当裁判所も本件事故の態様は控訴人主張の居眠り運転によるものと推認するのが相当と判断するところ、その理由については原判決の理由説示と同一であるから、原判決のこの点に関する理由記載(五枚目裏二行目「そこで」以下から八枚目表七行目まで、但し七枚目表四行目「認定に至つたのか」を「認定に至つたのは」に改める。)をここに引用する。

二不当利得返還請求について

1  保険契約の締結とその内容等について

〈証拠〉によれば、次の各事実が認められる。

(一)  控訴人は昭和五五年一月二九日同和火災との間で、次の内容の自動車保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。

(1) 契約の種類

自家用自動車保険、一般自動車保険

(2) 保険期間

昭和五五年一月二九日から昭和五六年一月二九日まで。

(3) 被保険自動車

控訴人所有の普通乗用自動車一七台(内訳、タクシー一六台、乗用車一台)

(4) 担保種類

車両、対人賠償、自損事故、無保険車傷害、対物賠償、塔乗者傷害

(5) 保険料 三七八万五三〇〇円

(二)  被控訴人が本件事故当時乗車していたタクシーは、右被保険自動車一七台のうちの一台であり、その保険料は二二万八三二〇円、うち、自損事故保険分 二万一二八〇円(按分算出)、塔乗者傷害保険分 一万八〇〇〇円合計三万九二八〇円、そのほかは車両、対人賠償等保険分であつた。

(三)  本件保険契約は、自損事故保険に関する次の内容を含むものである。

(1) 被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により被保険者が身体に傷害を被り、かつ、それによつてその被保険者に生じた損害について自賠法三条に基づく損害賠償請求権が発生しない場合は、保険金(死亡保険金、後遺障害保険金及び医療保険金をいう。)を支払う。

(2) 被保険自動車の保有者、同運転者、上記以外の者で被保険自動車の正規の乗車用構造装置のある場所に塔乗中の者を、被保険者とする。

(3) 被保険者が前記(1)の傷害を被り、その直接の結果として、生活機能又は業務能力の滅失又は減少をきたしかつ、医師の治療を要したときは、平常の生活又は業務に従事することができる程度に治つた日までの治療日数から、最初の五治療日数を控除した日数に対し、次の金額を医療保険金として被保険者に支払う。

病院又は診療所に入院した治療日数に対しては、その入院日数一日につき六〇〇〇円。

病院又は診療所に入院しない治療日数に対しては、その治療日数一日につき四〇〇〇円。

右医療保険金の額は、一回の事故につき被保険者一名毎に一〇〇万円を限度とする。

(4) 同和火災が保険金を支払つた場合でも、被保険者又はその相続人がその傷害について第三者に対して有する損害賠償請求権は、同和火災に移転しない。

(四)  本件保険契約は、塔乗者傷害保険に関する次の内容を含むものである。

(1) 被保険自動車の正規の乗車用構造装置のある場所に塔乗中の者(被保険者)が、被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により身体に傷害を被つたときは、保険金(死亡保険金、後遺障害保険金及び医療保険金をいう。)を支払う。

(2) 被保険者が右(1)の傷害を被り、その直接の結果として、生活機能又は業務能力の滅失又は減少をきたし、かつ、医師の治療を要したときは、平常の生活又は業務に従事することができる程度に治つた日までの治療日数に対し、次の金額を医療保険金として被保険者に支払う。

病院又は診療所に入院した治療日数に対しては、その入院日数一日につき七五〇〇円。

病院又は診療所に入院しない治療日数に対しては、その治療日数一日につき五〇〇〇円。

右医療保険金の支払は、いかなる場合においても被害の日から一八〇日をもつて限度とする。

(3) 前記(三)の(4)と同旨。

右認定事実によると、控訴人は、自損事故保険、塔乗者傷害保険のいずれについても、控訴会社の従業員であるタクシー運転手が被保険者となることを認識したうえで右各保険契約を締結したものと認められるから、タクシー運転手は対象とせず専ら乗客を対象として契約した旨の原審証人小泉孝一の証言は採用できない。すると被控訴人は右各契約の利益を当然享受すべき地位にあつたというべきである。

2  被控訴人の保険金の受領等について

〈証拠〉によれば、次の各事実が認められる。

(一)  被控訴人は、本件事故により頭部外傷(第三型)、頸部挫傷等の傷害を被り、次のとおり入・通院による治療を受け、通院最終日ごろ後遺症を残さず治癒した。

(1) 昭和五五年七月一二日から同年九月一九日まで七〇日間、福井県丸岡町の荒川外科病院入院。

(2) 同年九月二二日から昭和五六年一月九日まで一一〇日間、福井市の西浦整形外科入院。

(3) 同年一月一〇日から同年四月一八日まで九九日間(うち実通院二〇日間)、右西浦整形外科通院。

(二)  右治療費は全額労災保険から支払われた。また、被控訴人は、右入・通院期間中の休業補償として、労災保険から平均賃金の六割の休業補償給付と二割の休業特別支給金の給付を受け、更に残余の二割分についても控訴人から上積み補償を受けた。

(三)  ところで、本件保険契約では、支払保険金額の多寡によつて次年度の保険料を割増・割引するシステムになつていたので、控訴人は、自動車事故が発生した場合、支払われる保険金額と次年度の保険料割増額とを勘案して、保険金支払を請求するか否かを判断していた。

前述のとおり、被控訴人が治療費全額及び休業期間中の休業損害全額の支払を受けたことから、控訴人は、被控訴人が本件事故により被つた全損害が填補されたので、被控訴人の保険金請求は許すべきではないと考えていた。

(四)  ところが、被控訴人は、控訴人の反対にも拘わらず、福井地方裁判所へ同和火災を被告として、保険金二三五万円(内訳、自損事故保険金〔医療保険金〕一〇〇万円、塔乗者傷害保険金〔医療保険金〕一三五万円)の支払を求める訴えを提起した。

福井地方裁判所は昭和五六年一二月二三日被控訴人の右請求を全額認容する判決をした。そこで、同和火災は右判決に従い被控訴人に対して右保険金二三五万円を支払つた。

(五)  控訴人は、従業員の中から被控訴人のように控訴人の意向を無視して保険金請求をする者が再び現われると困るので、昭和五七年一月二九日以降の自動車保険については、自損事故保険、塔乗者傷害保険特約のない自動車保険契約を同和火災との間で締結している。

なお、仮に控訴人が昭和五七年一月二九日以降も同和火災との間で、自損事故保険、塔乗者傷害保険もセットされた前記1の(一)の(1)(3)(4)と同一内容の自動車保険契約を締結した場合、保険期間昭和五八年一月二九日から一年間の自動車保険の保険料は、被控訴人に保険金が支払われなかつた場合は一九六万八八六〇円となるのに対し、同人に保険金が支払われた場合は二八六万三六三〇円となり、その差額は八九万四七七〇円である。

3  不当利得の成否について

(一)  本件保険契約中の自損事故保険、塔乗者傷害保険は、控訴人を保険契約者、同和火災を保険者とし、控訴人所有のタクシー一六台の運転者も被保険者に含まれるところ、被控訴人は、右タクシーを運転中に本件事故にあい、前記傷害により前記期間入・通院したのである。従つて、保険事故の発生により、被保険者である被控訴人は、本件保険契約に基づき、保険者である同和火災に対し、当然に自損事故保険金(医療保険金)一〇〇万円、塔乗者傷害保険金(医療保険金)一三五万円の請求権を取得し、その結果、被控訴人は、本件保険契約に基づき、同和火災から、自損事故保険金一〇〇万円、塔乗者傷害保険金一三五万円を受領したものである。

そして、そもそも、自損事故保険、塔乗者傷害保険(医療保険金)は、被保険者の実際の損害額の有無及び多寡に拘わらず、入院ないし治療日数に一定金額を乗じた保険金が支払われる定額保険であり、実損填補を原則とし、保険者が支払う保険金は、被保険者が事故により被つた損害額を越えることのできない損害保険とは異なる。従つて、被保険者が労災保険から給付を受けたり、不法行為者から損害賠償金を受領した場合でも、これらは損益相殺の対象とはならず、被保険者は、自損事故保険金、塔乗者傷害保険金と、労災保険金や損害賠償金を重複して受取ることができる。すると、被控訴人が右保険金合計二三五万円を受領したのは、右契約に基づくものというべきである。

(二)  控訴人は、そうであつたとしても、控訴人と被控訴人間には、控訴人が保険契約者となつて締結した保険契約上の保険金を被控訴人に取得させる対価関係がない旨主張する。そして、第三者のためにする保険契約において、契約者と第三者間の対価関係の存否は契約者と保険者間の保険契約の成立に無関係であり、右対価関係がなくても保険契約は成立し、第三者は有効に成立した保険契約に基づき保険金請求権を取得するが、第三者のこの利得は、契約者に対する関係では法律上の原因を欠くことになるから、第三者はこれを不当利得として契約者に返還しなければならない。事故が発生したとはいえ、対価関係がないのに他人が契約し、保険料を支払つた保険契約に基づく保険金を最終的に利得する理由はないからである。そこで本件につき控訴人と被控訴人間の対価関係の存否につき判断するに、右対価関係は、保険金受領時に存在しなければならないのは当然であるところ、前記当事者間に争いのない事実によると、被控訴人はタクシー運送業を営む控訴人に雇用され。タクシー運転手の業務に従事していたものであり、右両者の関係と、前認定にかかる本件保険契約の目的・内容に照らすと、控訴人は使用者として労働者である被控訴人が業務上負傷することある場合に備え、法定の災害補償の上積み補償の趣旨で本件保険契約を締結したものと認めるのが相当である。右認定によると、本件保険契約は被控訴人の委託に基づいて締結したものではなく、控訴人が企業目的から自主的に締結したものであるが、これによつて被保険者たる労働者は受益の意思表示を要せず当然に保険契約上の受益者たる地位についたというべきであるから、控訴人と被控訴人間には、保険事故が発生した場合、被控訴人に保険金を得させ、もつて労災補償の上積み補償を実施する関係が存在していたと認めるのが相当であり、右は第三者のためにする保険契約における保険契約者と第三者間の対価関係と認めるに十分である。

(三) 控訴人は次に、被控訴人との間に右対価関係があつたとしても、その後本件事故により被つた被控訴人の損害は全額填補されたから、保険金受領時には労災補償は全て履行され、従つて両者間の対価関係は消滅し不存在となつていたとの趣旨を主張する。そして、被控訴人が治療費全額及び休業期間中の休業損害全額の支払を受けて、本件事故により被つた全損害が填補されたと認められることは前記のとおりである。すると、本件事故に関する控訴人と被控訴人間の労災補償問題はすべて解決し、両者間には本件保険金を被控訴人に得させるための対価関係は、被控訴人が同保険金を受領する以前にすでに消滅し不存在となつていたものというべく、被控訴人の右保険金受領は、控訴人との関係では法律上の原因を欠き、不当利得になるものといわねばならない。

(四) そこで控訴人の損失につき判断するに、本件自損事故保険並びに塔乗者傷害保険分の保険料は前認定のとおり三万九二八〇円であり、これを控訴人が同和火災に支払つているから、被控訴人の前記利得と因果関係ある控訴人の損失は右保険料三万九二八〇円と認めるのが相当である。

控訴人は、被控訴人が本件事故当時乗車していたタクシーの年間保険料二二万八三二〇円の全額について、損失を被つたと主張する。しかし、右保険料のうち三万九二八〇円を超える分は、前認定のとおり車両、対人賠償等関係のものであり、控訴人の前記利得と因果関係ある損失とは認められない。

控訴人は、また被控訴人が保険金二三五万円を受領したことにより、翌期の保険料として八九万四七七〇円の増額支払を余儀なくされ、同額の損失を被つたと主張する。しかし、前述のとおり、控訴人は、昭和五七年一月二九日以降の自動車保険については、自損事故保険、塔乗者傷害保険のない保険契約を締結したのであり、仮に控訴人が昭和五七年一月二九日以降も右両保険がセットされた従前と同一内容の自動車保険契約を締結していたとしたら、昭和五八年一月二九日から一年間の保険料は、被控訴人が保険金を受領したことにより、八九万四七七〇円増額するというにすぎないのである。即ち、控訴人が現実に右保険料八九万四七七〇円の増額支払を余儀なくされた訳ではなく、被控訴人が保険金を受領したことにより、控訴人が八九万四七七〇円の損失を被つた事実は認められない。

(五)  してみると、控訴人の不当利得返還請求は、右三万九二八〇円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和五六年一二月九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、右以上は失当である。

三以上によると、控訴人の不当利得返還請求を理由なしとして棄却した原判決主文第二項は相当でない。よつて同項を前認定の限度で変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官井上孝一 裁判官紙浦健二 裁判官森髙重久)

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